適合のOS:不快への反応(是正行動)
自分が世界に対峙する適合の世界では、自分の内側に「あってはならない自分」「起きてはいけないこと」という受けいれたくないものがある「自己分離」の状態がOSになっています。
自分の外側で起きたことを「なんで◯◯じゃ”ない”の?」と思考で描写し、ストーリ化することで、さらにその思考が内側に不快な感情をつくりだします。
その不快な感情から逃れようと「どうしたらいいのか?」と原因を分析し、解決策を考えます。
そして、その解決策に基づいて不快を是正しようと行動します。
このように「あってはならない自分」「起きてはいけないこと」を抱えた自己分離の状態で生きると、それを体験する可能性を不安として感じ、怖れ、それが起こることを避けるためにする努力、これが生きることそのものになります。
適合のパラダイムで生きている間は、外界で起きるべきではないと信じ込んでいることをいかに起きないようにするか、もしくは外界で起きてしまった不本意な現実に反応して、その不快をなんとか快に変えようと努力しているか、だけなのです。
起きてしまう不本意な現実に対して反応し、なんとかしようと思考し行動してもまた不本意な現実が起こる。これが、適合OSに生きる人間の姿です。
源のOS:感じる × 理解 ⇒ 源の智慧に従う
自分は全生命のつながりの一部であるという源の世界では、世界と自分に分離はありません。
自分の生命の中に”ある”ものはいい・悪いなく、ただあることを感じるという「自己受容」の世界です。
人間は感じることで、自分の生命が本当に望むことがわかります。この生命が感じる空間を通してもたらしてくれる智慧につながり、自分の生命が本当に望むことを理解し、それに従ってみることで源から生きる人生が体験できます。
『人間は生命にかなう現実を創造し、体験して、進化し続けている』
これが源から生きる本来の人間の姿です。
進化とは、「あるものがただある」「すべてがただある」全体性の豊かさを現実の世界に生み出し続けることです。しかし、世界をばらばらに分離したものと捉え、不安と恐れから適合して生き残ること、無意識にただ不快から逃れようと生きていても、人間は進化することも満たされることもありません。
私たち人間の進化は、自分たちの内部に抱えている分離を超えて、「あるものがただある」「すべてがただある」全体性から源の叡智につながる新しい在り方を創造することです。
その在り方と意識から発揮される人間の創造性は、個別生存のためではなく、この世界をより生命全体の豊かさにかなう場所にするために発揮されるようにできています。