生きることの両義性

人間が生きているうちには
普通は決して体験できないことが1つだけあります。
それは何でしょうか?

ずばり、死ぬ、という体験です。

死への恐怖があるということは、
生きている、生きようとしている、
ということの証なのです。

生きる上で自分の生存をこれで守っている、
と無自覚に思っているものが
なくなるんじゃないかと思ったり、
自分や身近な人の痛みや死が
現実として身近に迫ってくる感覚になると、
誰もが不安になり、怖れに駆り立てられます。

この世界を体験するために
個別の肉体を存続させるための生存本能は、
生きる欲求であると共に、生き残るために、
という自己分離した意識を駆動させます。
同時に、個体に宿る分離した命は、
全生命の網の目の中で
つながって生かされていることも真実です。

つまり、生命には
「分離・個別生存」と「つながり・循環」
の両義性があります。

怖れ・不安は自分が生き残りたい、という衝動です。
でも、私たちはそれだけでは、生きられません。

怖れを死に抵抗する生きる力として受け入れ、
同時に感謝とつながりを感じることで、
「自分の」、そして「すべての」命が満たされるように
自分を、社会を、世界を
生きていくことができるのだと思います。

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